摂政と関白について勉強しました

勉強をしました。969(安和2)年に左大臣源高明が左遷されると(安和の変)、藤原氏北家の勢力は不動のものとなり、天皇が幼いときは摂政、成人となったあとは関白がほとんど常におかれるようになりました。

10世紀後半から11世紀にかけて、摂政・関白が太政官の上にたって政治を行いました。これを摂関政治とよび、摂政・関白を出す家柄を摂関家といいます。

摂関家は天皇の外戚(母方の親戚)として天皇に近づき、実権をにぎりました。摂関家内部では、摂関の地位をめぐって争いが続きましたがそれも11世紀初め、藤原道長のときにおさまりました。

その後、11世紀後半に摂関家をうしろだてとしない後三条天皇が即位するまで、道長とその子の頼通の時代にかけて摂関政治は全盛期をむかえました。

道長は、4人の娘を次々と天皇や皇太子と結婚させ、天皇に対する強い影響力を背景に約30年間にわたって権勢をふるいました。

その後、頼通は道長の孫にあたる3代の天皇の治世約50年間にわたり、摂政・関白となって政権を独占しました。http://logiclord.com/

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